姪の浜は室見川の最下流左岸に広がる、姪浜駅を中心に西区の行政及び交通上の中心をなしている町です。
天神・博多から続く市街地の西の端。西側には長垂山・叶岳・高祖山があり、今宿や伊都、糸島市地域と姪浜地域とを隔てています。
公称町名としては姪の浜(めいのはま)と姪浜駅南(めいのはまえきみなみ)があります。
1976年(昭和51年)に住居表示により地区の中心部分が姪の浜1丁目〜6丁目とされ、同時に豊浜1〜3丁目、愛宕1〜4丁目も分立しました。その後、大町団地、小戸、下山門、石丸、内浜、福重、愛宕浜、姪浜駅南、愛宕南の各町(大町団地以外は丁目で分かれる)が順次分立しています。

ちなみに、住居表示では「姪浜」ではなく、「姪の浜」が正式です。

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姪浜の歴史
「姪浜」の地名の語源は神功皇后が三韓征伐からの帰途この地に上陸し、衵を洗い干したことから衵ノ浜(あこめのはま)と称され、転訛して姪浜と呼ばれるようになったものと言われています。
鎌倉時代、元寇(文永・弘安の役)に際し防塁が当時の海岸沿いに築造され、弘安〜正安年間には警固番役が置かれて防塁の維持を担っていました。鷲尾山には鎮西探題が城(姪浜城、探題館)を築きました。
江戸時代には唐津街道沿いの宿場町及び港町として栄えます。福岡藩2代藩主黒田忠之が1634年(寛永11年)に京都の愛宕神社より愛宕権現を勧請し鷲尾山に鷲尾愛宕神社を建立、これより鷲尾山は愛宕山と呼ばれるようになりました。
1889年(明治22年)、町村制施行により早良郡姪ノ浜村が置かれ、1893年(明治26年)には姪浜町となります。
1914年(大正3年)から採掘が始まった姪浜炭鉱(早良炭鉱)は年20万トンを出炭し、最盛期には約8000人の炭鉱労働者が居住。石炭の運搬のために軌道(後の北筑軌道)が敷設されました。その後、1925年(大正14年)には北九州鉄道(現JR九州筑肥線)姪ノ浜駅が開業しています。
1933年(昭和8年)に姪浜町は福岡市に編入。1945年(昭和20年)の福岡大空襲では罹災。戦後も炭鉱は経営されましたが1962年(昭和37年)に閉山。前年の1961年(昭和36年)から小戸公園の整備が始まり、1974年(昭和49年)には福岡市立福岡女子高等学校が中央区赤坂から移転しています。
1983年(昭和58年)、福岡市地下鉄1号線(現空港線)が姪浜駅まで開業し同駅で国鉄筑肥線と相互直通運転を開始しました。地下鉄1号線の終点となった姪浜駅は西区区域における交通の結節点としての役割を大幅に強めることとなります。
平成に入ると姪浜駅周辺の土地区画整理事業が行われ、福岡高速道路出入口(姪浜IC、愛宕IC)が敷設された上、2000年にはショッパーズモールマリナタウンやマリノアシティ福岡等の大型商業施設が近隣に相次いで開業。
現在、駅周辺(特に南口方面)は、高層マンションが並ぶ住宅街へと発展を遂げています。

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